2011年1月の政変以後には、治安の不安定さから、考古学の発掘調査には政府からの許可が下りず、本来の発掘調査を遺物整理作業に移行するか、保存科学をベースにした作業だけが行われてきたといわれる。その一方で、首都圏から遠く離れたアスワンなどでは、外国調査隊は通常と変わらず現場調査を続けていた現実もある。そこで上エジプトにおけるフィールド調査の実態を把握すべく、2011年12月からルクソール(写真1)で調査を開始した早稲田大学調査隊を取材した。
早稲田隊がルクソールで調査を開始したのは、1970年代の初めであり、それから約40年が過ぎたことになる。70年代の半ばに、新王国時代のアメンヘテプ3世の時代の建造物を発見して世界的な話題となって以降、早稲田隊は同王の治世に焦点を当てて数々の比較調査を行ってきた。現在は、王家の谷の西谷で、アメンヘテプ3世の王墓の修復を行い、さらにクルナ村のふもとで貴族墓の発掘を行っている。
王墓の修復は、ユネスコとの共同事業である(写真2)。壁画、天井、柱等の遺構の修復に加え、20世紀前半までの調査で見落とされた遺物にも注意を払う。特に盗掘以後長い間開け放しになっていた間に、蝙蝠の糞等によって汚れた面の回復には、長大な時間が必要となる。早稲田隊は、国際的に活躍するイタリアの修復師と共同開発した技法を、エジプト人修復師たちに伝えながら作業を進める。
地下30mの深さの墓室に閉じこもっての作業は、生易しい作業ではない(写真3)。外部との連絡とのためにはわざわざ長大な昇降路を往復しなければならないし、狭い空間に充満する薬品の匂いを避けることもできない。しかし保存作業の過程では、古代の墳墓の建設技法に、現代に通じる技術がみつかることもあり、新たな発見の連続だという。石棺の修復を含めた全体整備が完了後には、将来的にはこの王墓が一般公開される可能性も論じられていくことになるだろう。
クルナ村でも今年で5年目になる貴族墓の発掘が根気よく続けられている(写真4)。ここはウセルハトというアメンヘテプ3世の時代の高官の墓で、ヨコ広がりの前室と細長く続く奥室からなる構造を持つ。同墓は、20世紀の初頭に調査が行われたがその後放置され、100年以上行方不明のままであった。壁面に施された王妃ティイのレリーフは盗難を受けて、現在はベルギーのブリュッセルの博物館に展示されている。その墓の全容解明が研究の課題である。
そのためには、8メートルにも及ぶ莫大な量の堆積瓦礫除去から始めなければならない。しかしこの数年の辛抱強い作業によって、やっと墓の全体プランが見え始め、前室奥壁部分に残されていた美しいレリーフや未完成ながらも一部が装飾された奥室内部の調査も始まった。近藤二郎文学学術院教授(エジプト学研究所所長)率いる調査隊は、墳墓の作りを建築的な観点から明らかにしつつ(写真5)、土砂内から発見された遺物のデータ作成と銘文解読を続けている(写真6)。
クルナ村と言えば、古代遺跡の上に立つ現代の村として名高い。村の移転計画が始まって既に10年以上が経つが、この墓の周囲も例に漏れず、民家が覆っていた。民家が政府に強制移転された後の跡を観察すると、煤に覆われた彫像や壁面レリーフの数々も明らかになってきた。早稲田隊は、本来の標的の墳墓に加え、こうした周囲の墓のクリーニングも今後同時に進めていく予定という。
早稲田大学調査隊は、ルクソール西岸の砂漠のへりに、大学独自の研究施設(ワセダハウス)を持つ(写真7)。昼食時には現場からこの施設に戻り、午後は室内での整理作業に移行する。都会の喧騒とは離れて、夜はモスクの祈りの声と犬の遠吠えがこだまする世界である。貴族墓の今年の発掘は1月上旬で切り上げ、王墓の保存修復作業はまだこの先、春まで続けられると言う。(センター長記)