前略、第9回懇話会では、アインシャムス大学前教授の菊地真先生をお迎えいたします。菊地先生はエジプトで日本語教育と日本文化の紹介に貢献なされ、3月2-3日に国際エジプト日本研究会(EGAJS)シンポジウムに参加されます。今回は、将棋の歴史について中東を含む他文化にも触れながらお話しいただきます。
今回は、対面のみで開催いたします。ご講演後の懇親会も企画し、先生との懇親を深めたいと存じます。こちらにも是非ご参加ください。ご参加の手続きは、以下のリンク先のGoogleフォームにてお願いいたします。
草々
◆ 日時・場所:2024年3月1日(金)開始時間:カイロ18時半から(開場18時) 場所:日本学術振興会カイロ研究連絡センター
講演:60分 質疑応答:30分
◆ 講演:「将棋の歴史 ~起源と中世における展開~」
◆ 講師:菊地真(きくちまこと) アインシャムス大学前教授
◆ 要旨(講師記)
現代の日本将棋は、チェスと同様のボードゲームであることは間違いない。持ち駒とか千日手とか持将棋との独自のルールがあることもよく知られている。しかし、周辺国の中国の象棋・韓国のチャンギに比べて、明らかに違うのは盤と駒の形状である。盤に「クチナシ」と俗称されている脚がついている。その形状は他のボードゲームの盤と比べてももちろん、他の家具・屋内調度品と比較しても例を見ない特異なものだ。
さらに不思議なのは駒の形状である。世界のボードゲームの駒は立体型と平面型に二分されるが、日本の将棋の駒は厳密に言うと、このどちらにも属さない特異な形状をしている。それは五角形をしていて表裏に漢字二字か書かれ、立てることもできる。中国の象棋・韓国のチャンギなどの平面型の駒は置かれることを想定して作られるから、当然、立てることはできない。しかし日本の将棋の駒は、通常の対局では平面型の駒として使われてはいるものの、立てようと思えば立てることができるのだ。
最古の将棋の駒である興福寺旧境内出土駒が11世紀中頃であるのに、将棋の対局記事は12世紀中頃から見られ始める。この百年の間、将棋の盤駒はどう存在していたのか。
また、盤の脚は須弥山の形を模している。そして駒は、「玉将・金将…歩兵」の名称が全て仏典にゆらいしている。以上のことから私は、将棋の盤駒は本来、勝負を争うものとしてあったことよりも、室内装飾としてあったのではないのかと考える。そして、中世でも、大将棋・天竺大将棋・大大将棋・摩訶大大将棋・泰将棋・大局将棋(合計804枚)と大型化していく将棋も、ゲームとしての進化というよりは、装飾具としての進化と考えるべきである。
どういう装飾具か。それは州浜である。平安時代、貴族の邸宅には州浜という室内装飾があり、その華美や文化程度の高さを競っていた。将棋の盤駒も、元来、そうしたものの一つで、忉利天上の帝釈天軍と阿修羅軍の戦闘場面を模したものとして、盤上に駒は立てられた状態で配置され、室内に飾られていたのではないか。これが将棋の、ボードゲームとしてではない、本来の姿ではなかったかと考える。
- 参加方法:講演は無料となっております。参加希望者は、講演(聴講無料)及び懇親会(参加費50EGP)の申込内容を、Googleフォームにご記入の上、前日までに送信ください。https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfEbp1_ads5dcAi8E2tkYvgWg9b94GOxAVqOB-CbVYE2dW7rg/viewform?usp=sf_link